期間 | 開催地 | イベント名 |
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8月1日(日) | 栃木県 日光市(大谷川河川敷) | 日光夏の花火 |
8月1日(日) | 栃木県 那須塩原市(塩原もの語り館) | ジャズフェスタしおばら |
8月1日(日)から31日(火) | 栃木県 那須町(那須温泉神社境内) | 那須温泉朝市 |
8月2日(月)から27日(金) | 栃木県 日光市(川治温泉男鹿川河川敷) | ゆままにカナディアンカヌーinかわじ |
8月4日(水) | 栃木県 日光市(日光二荒山神社中宮祠) | 扇の的弓道大会 |
8月6日(金) | 栃木県 日光市(古河電工(株)日光事業所和楽池畔) | 日光和楽踊り |
8月6日(金)から7日(土) | 栃木県 大田原市(市街地(荒町・上町・仲町・下町の商店街通り)) | 与一まつり |
8月7日(土) | 栃木県 足利市(渡良瀬川河畔田中橋下流) | わたらせサマーフェスタ足利花火大会 |
8月7日(土) | 栃木県 矢板市(長峰公園) | 矢板市ふるさとまつりin長峰 |
8月7日(土) | 栃木県 芳賀町(道の駅はが、芳賀温泉ロマンの湯西側) | 芳賀町ロマン花火 |
8月7日(土)から8日(日) | 栃木県 栃木市(蔵の街大通り・銀座通り・巴波川(幸来橋~巴波川橋)) | 蔵の街サマーフェスタ |
8月7日(土)から8日(日) | 栃木県 宇都宮市(宇都宮市内大通り(本町交差点~上河原交差点)) | ふるさと宮まつり |
8月7日(土)から8日(日) | 栃木県 佐野市(佐野駅周辺) | さの秀郷まつり |
8月8日(日) | 栃木県 栃木市(巴波川幸来橋付近) | 百八灯流し |
8月14日(土) | 栃木県 茂木町(ツインリンクもてぎ) | ツインリンクもてぎ“花火の祭典” |
8月14日(土)から15日(日) | 栃木県 那須塩原市(塩原温泉街) | 塩原温泉夏まつり花火大会 |
8月19日(木) | 栃木県 那須町(芦野地区御殿山周辺) | 聖天祭(夏の大祭)花火大会 |
8月20日(金)から21日(土) | 栃木県 那須烏山市(保健福祉センター周辺) | いかんべ祭 |
8月20日(金)から21日(土) | 栃木県 日光市(日光山輪王寺三仏堂境内(雨天の場合/日光総合会館)) | 日光山輪王寺薪能 |
8月21日(土) | 栃木県 那須烏山市(保健福祉センター大駐車場) | いかんべ祭花火大会 |
8月21日(土) | 栃木県 壬生町(壬生町総合公園陸上競技場(おもちゃ博物館東側)) | 壬生ふるさとまつり花火大会 |
8月21日(土) | 栃木県 真岡市(鬼怒川河川敷緑地公園、砂ケ原地内河川敷) | 尊徳夏まつり |
8月21日(土) | 栃木県 宇都宮市(道場宿鬼怒川河川敷) | うつのみや花火大会 |
8月22日(日) | 栃木県 上三川町(上郷愛宕神社境内) | 愛宕神社奉納相撲 |
8月28日(土) | 栃木県 日光市(川治グランド) | 川治温泉屋台夜祭火とともに |
8月29日(日) | 栃木県 小山市(観晃橋下流思川河畔) | おやまサマーフェスティバル小山の花火 |
畳の交換をする時のタイミングと畳の交換
畳は長く使っていると人のあかや埃で汚れてしまうので交換が必要になります。日頃のお手入れをしていても交換が必要になるものなのでタイミングを考えつつ、しっかりときれいに使えるようにする必要があります。時には積極的な張替えが必要です。
畳は汚れたり穴が空いていると虫が発生することもあるので気をつけて使用していないといけません。特に虫が湧くと生活にも支障が出るので畳を全て交換しなければならず手間もお金も大量にかかって大変になり、注意が必要です。
畳をきれいでかつ上手に活用するならば、できるだけ早めに交換をすると良いです。なによりよごれて傷だらけになってしまってからでは簡単に修復できないので安全に使用したい場合には特に早めに交換しておくとよいでしょう。
業者の選び方としては身近にある畳屋さんを頼ればよいですが、アパートやマンションに住んでいる場合には大家さんに相談する必要があります。場合によっては大家さんがお金を出してくれて修繕できる場合も多くあります。
畳を交換する時は畳の色あせが激しくなっている時で新しい畳に変えてから3年以上が経過している場合、交換を検討してもよいでしょう。特にきれいに使っていれば汚れることもないのでカビが生えていない時などはそのままでも良いでしょう。
障子の張替には障子張替え業者を呼んで障子張替を
障子というものは湿気や直射日光をさえぎり、風や寒さを防ぎ、昼間は光をやわらげて伝えてくれる画期的なものですが時として襖や障子は劣化して傷むために、その痛んだ箇所を張り替えてそのたびに交換しなければならないのです。
襖や障子を張り替えるのは、ルームクリーニング業者や職人のお仕事であり、一般で張り替えると大きく手間がかかったりうまくできないこともあります。なのでやはり仕事をプロフェッショナルに任せたほうが無難なのです。
障子や襖を張替えするときには、ルームクリーニングなどの専門業者は専用の道具を使います。これら専用の道具を使うことで障子の張替がスムーズにできるため和室の難しい張り替えはプロフェッショナルに頼むべきです。
障子や襖には特殊な木材の部品が使われていたりしますので素人が直そうとすると破損したりするおそれがあります。だからこそプロフェッショナルであるルームクリーニングの正しいお仕事におまかせをするべきなのです。
障子には紙を張る作業がありますが、これには特殊な糊を使うことがあり、これに慣れている専門業者の的確な技術が必要となります。ですので慣れてない作業をするよりはクリーニング業者にまかせたほうがいいのです。
美術品である襖と建具である襖
日本はあるものを最大限に生かし、それをまた再利用するということが古来から行われています。襖は日本にしかない建具です。土足で入らない家屋のために屋内で生活する畳とともに発展してきました。障子から発展し襖になり、それは芸術性や美しさも加わってきました。
時を経ると襖は単なる仕切りや戸という建具ではなく、美術品として進化をしていきました。襖の役割は生活で使うことよりも素材が紙ということに着眼し、絵や文字を書くことを試みました。主に絵や書画などは戦国武将や高貴な身分のものが、作品を作らせました。
襖に絵を書くということは、時代背景も大きく影響していました。襖のには金箔を施し、その上に絵を描かせる。金箔は権力と富の象徴として、多くのものにそれを知らしめる目的があったのです。その結果、襖は建具から美術品に取って代わり作品の一部は後世にまで伝わっているのです。
襖の優れたところは風を通さないつくりであるということが一つ。もうひとつは素材が紙なので、破れても張替えがきくという利点があります。日本人は木で作った戸は表に使いました。家の内部は紙が素材の建具を使いました。
紙を使う理由は日本の環境が湿度が高いこともあります。紙は湿気などの水分を吸収する役割があります。その風土により、建具としては長く使われているのです。素材に着眼し美術品にまで昇華させる。そして紙の性質を利用し室内で仕切りとして使う。張替えもできる襖は日本人の知恵の結晶なのです。
栃木県あれこれ
栃木の名前は神明宮の屋根串の千木から出たという説があります。これは昔社殿が城内町の神明宿にあったころ、屋根に10本の千木がついていた。当時は入家も少なく、ずいぶん遠くのほうから見えたので、人々は神社の当りと「十千木」地方とよぶようになった。また千が十もあつまれば万になるというので千木が十という意味をあらわして木片に万という字を書くようになった、これが栃木の字の由来といいますs。 栃木県の県内には日光国立貢献を筆頭に八つの県立自然公園があります、指定公園の数だけ言えば関東近県では多いほうで、観光県といった印象が強いのですが、実際には県を訪れる観光、行楽客の大部分が日光国立公園に吸収されてしまい、県立自然公園の利用者は非常に少ないのが現状です。 日光国立公園の魅力はなんといっても建築技術の粋をこらした東照宮、二荒山神社、輪王寺の、いわゆる2社1寺の人口の美と、男体山に戦場ヶ原、中禅寺湖を配した自然美に代表されます。そして日光を訪れた人ならば必ず足を延ばすという鬼怒川、川治温泉をはじめ、平家の落ち人伝説に彩られた川俣温泉や、湯西川温泉、もみじの名所として知られる塩原温泉、なす山腹に静かに湯けむりを挙げる那須高原などの温泉にも恵まれています。 一方県立自然公園は日光の陰に隠れてしまってあまり目立ちませんが、見どころは大変多いです。宇都宮市近郊の、宇都宮県立自然公園には大谷平和観音や古刹大谷寺があり、栃木県の大平山県立自然公園は桜の名所であり、そして足利、唐沢の両公園は家族向きハイキング地として親しまれています。他に益子、那珂川、八溝、前日光などの諸公園も静かな旅を楽しむには大変良いところとなっています。 平家落人の伝説 壇ノ浦で敗れた平家は平重盛の妹妙雲尼が家来に守られて東国へ落ち延びましたが、追手の追及は厳しく、あるものは高原山を越えて塩原へあるいは尾瀬の桧枝岐へ、またあるものは鬼怒川沿いに奥へ奥へと分け入って落ち着く場所を探し求めた。こうして住み着いたところの1つが、栗山村の川俣、湯西川であったといいます。 追昭和の初めごろまで落人であることをかくすためから出たといわれる変わった風習が残っていたが、追手の目を極度に恐れた部落の人は、鶏を飼うことをしませんでした。鶏から人の所在をかぎつけられるのを恐れたからです。卵を食べることすら隠しあっていたといわれています。 見知らぬ人との対話もあまり好まず閉鎖的でありました。 栗山馬鹿 といって見当はずれの返事をして馬鹿を装い、他国の人との話を避けました。初めて今市に降りた栗山の村人が、雨の時さして歩けば濡れないと教えられて傘を買った。しかし腰にさして歩いてびしょ濡れになってしまったなどという話もあります。 また、人目に付きやすいので5月の節句にこいのぼりを上げないという習慣もあった。これは今でも湯西川温泉に伝えられており、部落の核家は内飾りだけで済ましているということです。