期間 | 開催地 | イベント名 |
---|---|---|
11月1日(月)から15日(月) | 東京都 新宿区(新宿御苑 日本庭園) | 新宿御苑 菊花壇展 |
11月1日(月)から21日(日) |
東京都 中央区(不二家銀座ビル6~8F) | 銀座ペコちゃんミュージアム |
11月1日(月)から23日(火・祝) |
東京都 千代田区(都立日比谷公園内 草地広場) | 東京都観光菊花大会 |
11月1日(月)から23日(火・祝) |
東京都 文京区(湯島天満宮(湯島天神)) | 湯島天神菊まつり |
11月1日(月)から30日(火) |
東京都 八王子市(高尾山 ケーブルカー清滝駅前・十一丁目茶屋前ほか) | 高尾山もみじまつり |
11月1日(月)から12月25日(土) |
東京都 港区(南青山ル・アンジェ教会) | 南青山ル・アンジェ教会クリスマスイルミネーション |
11月1日(月)から12月25日(土) |
東京都 港区(ホテル グランパシフィック LE DAIBA エントランス(2F)) | Gran’Aqua Christmas |
11月1日(月)から12月31日(金) |
東京都 練馬区(としまえん) | としまえん ウインターイルミネーション |
11月1日(月)から2011年1月10日(火・祝) |
東京都 千代田区(帝国ホテル) | インペリアルクリスマス2010 イルミネ-ション |
11月3日(水・祝) |
東京都 台東区(馬道通り~雷門通り) | 東京時代まつり |
11月3日(水・祝) |
東京都 台東区(浅草寺境内) | 白鷺の舞 |
11月3日(水・祝)から7日(日) |
東京都 世田谷区(駒沢オリンピック公園 中央広場) | 東京ラーメンショー2010 |
11月3日(水・祝)から12月25日(土) |
東京都 豊島区(サンシャインシティ 専門店街アルパB1噴水広場) | SunshineCity×KONICA MINOLTA STAR TREE |
11月3日(水・祝)から12月25日(土) |
東京都 江東区(パレットタウン内 パレットプラザ) | パレットタウン クリスマス 2010 |
11月3日(水・祝)から12月26日(日) |
東京都 港区(東京タワー 1階正面玄関前) | 東京タワークリスマスツリー |
11月3日(水・祝)から2011年1月10日(火・祝) |
東京都 渋谷区(恵比寿ガーデンプレイス センター広場) | Baccarat ETERNAL LIGHTS -歓びのかたち- |
11月3日(水・祝)から2011年3月14日(月) |
東京都 江東区(恵比寿ガーデンプレイス センター広場) | VENUSFORT ILLUMINATION 10-11 ≪Night Venus~All love from the heavens~ナイト・ヴィーナス~天空から降り注ぐ全ての愛~≫ |
11月4日(木)から12月25日(土) |
東京都 渋谷区(表参道ヒルズ 本館吹抜け大階段、メインエントランスほか) | Omotesando Hills Christmas 2010 with SWAROVSKI ELEMENTS |
11月4日(木)から12月25日(土) |
東京都 千代田区(グランドプリンスホテル赤坂 新館) | グランドプリンスホテル赤坂 100mのクリスマスツリー イルミネーション |
11月5日(金)から8日(月) |
東京都 港区(赤坂サカス(スタート)~京都市 上賀茂神社(ゴール)) | RALLY NIPPON2010 |
11月5日(金)から12月25日(土) |
東京都 千代田区(日比谷シャンテ) | 日比谷シャンテ クリスマスイルミネーション |
11月5日(金)から2011年1月11日(水) |
東京都 墨田区(錦糸町駅北口(アルカイースト棟~アルカウエスト棟) | 錦糸町アルカタワーズ2010-2011「雪の降る街~スノーシャンデリアの彩る冬模様~」 |
11月6日(土)から7日(日) |
東京都 江東区(東京ビッグサイト 西ホール全館) | デザイン・フェスタ vol.32 |
11月6日(土)から7日(日) |
東京都 江東区(お台場屋外特設会場) | お台場のキャンピングカーショー「東京お台場くるま旅パラダイス2010」 |
11月6日(土)から7日(日)、18日(木)から19日(金) |
東京都 新宿区(花園神社) | 大酉祭 |
11月6日(土)から12月25日(土) |
東京都 江東区(アーバンドック ららぽーと豊洲) | LaLaport Colorful Xmas |
11月7日(日) |
東京都 国分寺市(都立武蔵国分寺公園) | 第27回国分寺まつり |
11月7日(日)、19日(金) |
東京都 台東区(浅草酉の寺長國寺および鷲神社境内) | 浅草酉の市 |
11月8日(月)から12月25日(土) |
東京都 中央区(COREDO日本橋 中央通り側入口、館内) | LINK WITH YOU CHRISTMAS 2010 ~リボンがつなぐ、あなたへのプレゼント~ |
畳の部屋で畳の匂いは素敵です。
夏のうたた寝で感じたのは畳のさっぱり感です。ひんやりと気持ちが好かったです。 昔は大きな蚊帳が吊ってありました。畳の部屋に合わせた大きさの蚊帳です。日本間で使われていた畳もこの頃の様な物ではなくて大きなサイズでした。
何時の頃から小さめな畳が部屋に敷き詰められてしまったのでしょうか。都会に集中して我々が住む様になってしまったからでしょうか。 昔は家々に少々の庭があって小さな家庭菜園なんかでトウモロコシ等は作っていました。
最近の家の周りはコンクリートで固められ駐車上が我が物顔で大手を振って独り占めです。家の中はと云えば床はフローリングです。確かに汚れたら直ぐに掃除が出来て維持が容易です。ベッドや椅子の生活で床に座ることがあまりありません。
この頃、畳敷きの日本間に座ってみると齢を重ねたためか足腰が痛くて正座が恥ずかしくも出来ません。この頃の若い人たちは正座の出来ないことが恥ずかしいとかを感じるでしょうか。我家の親たちは自慢そうに長く正座をしています。
畳の上での昼寝はとても心地よいものです。蚊取り線香を焚いて寝るのも夏の風情があって好いものです。夏の一番のお薦めは畳の部屋で昼寝をすることです。 エアコンを使わずグリーンのカーテンで昼の太陽を遮って畳の部屋から外を見渡してみると心地好いです。
畳の張り替えは仕事の早い畳屋で
真新しい青味の残った畳の香りは何とも言えません。夏はヒンヤリと冷たい感触が体に心地よく、冬は直接座っても冷たさが直接体に伝わってこない、体が感じるちょうど良い温度を保つのに最適な素材なのかもしれません。
目地の揃った畳は肌に優しいのですが、使っているうちに色やけがして、目地もささくれ立ってきます。そうするとちくちくするだけでなく足の裏が痛かったり、ささくれでちょっとしたひっかき傷が出来る事もあります。
以前は畳の修繕というと職人が畳を持って帰り、数日かけて張り直した物を設置しに来るというかなり日数のかかる作業でした。畳を撤去した部屋はその間使えなくなるため、現在の住宅事情には合わない作業と言えるでしょう。
そうした昨今の住宅事情やライフスタイルを反映して畳の張り替えにも大きな変化が起こりました。張り替えを依頼された畳は住宅から運び出されると工場に運ばれそこで一括で張り替えが行われ、指定された日時に納品を行います。
受け付けや見積もり、回収、張り替え等の作業を分業化することで作業時間を大幅に短縮した上に品質は各種グレードが揃っているため予算に合わせて注文できます。見積もりは無料なので一度問い合わせてみるのも良いでしょう。
畳の機能と畳を交換する時期について
畳の交換時期は、はっきりと何年と決まっているわけではありません。使用状況や畳の種類によっても変わってきます。畳が古くなると衛生的に問題があり、機能も低下します。一般的に20年以上経過している場合、交換するのが望ましいと言われています。
畳の素材であるい草には弾力性や断熱性、湿度の調整機能などの機能が備わっています。さらに、空気の浄化作用や消臭効果があることも見直されています。しかし、劣化が進むとそれらの機能も低下します。特に普段の手入れを怠っていると、カビが生えたりして寿命が短くなってしまいます。
ほつれがあったり、弾力性が失われている場合などには交換が必要です。しかし、劣化の度合いによっては、交換以外の対処法もあります。表面が変色しただけで土台がしっかりしているのであれば、裏返して使用することも可能です。また、表面に張られているゴザと畳縁のみを交換する方法もあります。
すべてを新品に取り替える場合は、採寸や製作に時間がかかります。修理や一部の交換をした場合と比較すると、価格も高くなります。表だけの張替えであれば、価格は安く済みます。また、土台がしっかりしていれば、何度でも行うことができます。
畳替えは新年やお盆の前に行われるのが一般的でした。それは、気持よくお客さんを迎えるためです。しかし、現在は生活や考え方の変化により、季節にこだわらずに畳替えをすることも多くなりました。また、畳業者にとって一番忙しい時期をさければ、スムーズに作業できる可能性は高くなります。
東京都の近世
江戸城の改築について 徳川家康が江戸城へ入ったのは小田原城落城後天正18年8月1日とされています。 江戸城の修築工事は文禄元年の西の丸建設から始められましたが、本格的な修築は家康が慶長5年の関ケ原の訳にも勝ち、同8年征夷大将軍に任ぜられて、名実とも全国の統一者になってからである。縄張りは藤堂高虎があたったといい、工事は家康、秀忠、家光と3代、約40年間にわたって続けられ、官営年中の外堀修造ではほぼ終了しています。 城の規模は外堀の周囲約4里、東西50町、南北35町あまり、城塁が大手門を起点としてらせん状に江戸市街の大半を囲みながら浅草橋まで伸びているのが特徴で、家康が慶長8年江戸に幕府を開いてから明治維新まで265年間徳川氏15代、日本全国に号令を下した江戸幕府の本拠となっていました。 町づくりについて 現在の東京の日本橋を中心として北は神田から南は新橋に至る下町一帯は家康入府のころからは波がひたひたと打ち寄せる人もほとんど住めないような東京湾の浅瀬であった。家康は諸大名に命じて海岸部の埋め立てを進め、城下町の整備に努めましたが、中でも慶長8年の埋め立て工事は特に大規模で、神田大地を切り崩した土で日本橋浜町あたりからその南西、新橋付近まで約30町あまりの埋め立てが行われ、新開地が造成され、日本橋もこの時初めてかけられました。西の丸舌を通っていた東海道も、新橋京橋を通って日本橋へ出るようになり翌年には日本橋は東海道をはじめ中山道、日光街道等、各地へ通づる主要街道の起点となりました。 江戸の市街は武家地、社寺地と町人が住む町人町、職人町に区分され、二分の一以上が武家地によって占められました、特に江戸城の本丸、二の丸の正面には大名屋敷が門を並べ、大名小路とも呼ばれ、整然とした武家屋敷のようすを夕立を四角に逃げる丸の内という当時の川柳が良く伝えています。商人や職人たちは各同種類の職業者同士が集まって一つの町を形成し、呉服町、鍛治町、大工町、青物町などの町名を付ける場合が多かったといいます、埋め立て地にはその工事を担当した大名をとって尾張町、加賀町などとつけられたところもあります。 人家がますにつれて市内は火災が頻発するようになりましたが、中でも1657年正月18.19日に起こった大火災は江戸時代を通じて最大のもので、江戸城の天守閣をはじめ市内の過半が焼け、10万人以上の死者を出しました。振袖家事の名前で知られていますが、この後幕府は大規模な市内の改正を実施しました。