期間 | 開催地 | イベント名 |
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8月1日(土) | 山梨県 山中湖村(山中湖畔駐車場ほか) | 報湖祭 |
8月2日(日) | 山梨県 富士河口湖町(竜宮神社・西湖畔) | 竜宮神社西湖竜宮祭 |
8月3日(月) | 山梨県 富士河口湖町(本栖湖畔) | 本栖湖神湖祭 |
8月4日(火) | 山梨県 富士河口湖町(精進湖畔) | 精進湖涼湖祭 |
8月4日(火)から5日(水) | 山梨県 富士河口湖町(船津・平浜駐車場) | 河口湖湖上祭 |
8月7日(金) | 山梨県 市川三郷町(三郡橋下流笛吹川河畔) | 神明の花火大会 |
8月8日(土) | 山梨県 忍野村(忍野中学校校庭ほか) | 八海祭り |
8月11日(火)から15日(土) | 山梨県 山中湖村(山中諏訪神社境内) | 山中明神太鼓 納涼打ち込み |
8月13日(木)から22日(土) | 山梨県 富士河口湖町(河口湖ステラシアター、河口湖円形ホールほか) | 富士山河口湖音楽祭 |
8月15日(土) | 山梨県 南部町(富士川南部橋上流下流域) | 南部の火祭り |
8月16日(日) | 山梨県 韮崎市(釜無川河川公園) | 夏の武田の里まつり「武田信義公以来累代・戦没将士供養会・花火大会」 |
8月21日(金) | 山梨県 笛吹市(笛吹市役所前河川敷) | 石和温泉花火大会 |
8月23日(日) | 山梨県 笛吹市(下黒駒『天神社』) | 下黒駒区石尊祭 |
5月2日(土)から5日(火・祝) | 山梨県 甲府市(稲積神社、遊亀公園) | 正の木稲荷祭り |
5月3日(日・祝)から4日(月・祝) | 山梨県 山梨市(山梨県笛吹川フルーツ公園) | グリーン・フェスタ&こどもまつりinフルーツ公園 |
5月4日(月・祝) | 山梨県 小菅村(第一スポーツ広場ほか周辺) | 水と火と味の祭典多摩源流まつり |
5月5日(火・祝) | 山梨県 北杜市(道の駅南きよさと) | 長沢のこいのぼり祭り |
5月8日(金) | 山梨県 甲州市(大善寺) | 大善寺藤切り祭り |
5月16日(土)から17日(日) | 山梨県 身延町(下部温泉郷) | しもべおんせんまつり |
5月17日(日) | 山梨県 富士河口湖町(山神社、国道139号の本栖入口周辺) | 本栖公家行列 |
畳は優れた緩衝材の役割もあり、畳の文化は日本の文化そのもの
畳は日本では外国でいうクッションのようなものとして発明されました。それまでは床張りの上を歩くということで、屋内での生活でも冬季には板の冷たさを感じながらの生活をしていました。高貴な貴族でもそのような状態でした。
平安期には床に座る文化となりました。装束の発達とともに、体をの重さから耐えるということで座る文化に移行してきました。それと同時に座る体重の吸収ということから、緩衝材の役割の畳が生まれました。生活の中で畳は役割の変化を見せていきます。
座る文化が発達し、多くの人をひとつの部屋に入れて楽しむということが行われるようになりました。茶室がその一例です。座る文化の象徴で、平安期のように個別に畳を敷くという概念から部屋一面に敷き詰めるという使用法に変化しました。この背景には日本的な静寂の精神や文化があるためです。
畳は部屋一面に敷き詰める使用法に変化してきました。それは生活する上で、緩衝性と保湿性の両方の性質を併せ持つことが大きな理由です。もうひとつの畳の使用されてきた大きな理由は表面の畳表と呼ばれるものが摩擦で擦り切れても、新たなもに張り替えられるということです。
畳の張替えはものを大切にするという精神が日本人のなかに根付いているからです。現代になってもさまざまな素材で出来た畳があります。古代からの使用法を変えず、今まで残っているものは優れた緩衝材という位置づけではなく、日本の文化そのものであるといっても過言ではありません。
畳の張替えの業者の存在による今後の畳
畳の張替えの業者の存在は以前に比べると多少は需要も減って、畳の部屋が減った事もあり、畳の交換の仕事もずいぶん少なくなった状況の様です。こうした状況で畳職人の仕事ぶりや仕事の今後の状況などを考えると、感覚的に大変な状況となっています。
洋風なお部屋が増えてフローリングの仕様となれば、自ずと畳の部屋が少なくなっている現状は変える事が難しい状況である事には違いありません。しかしこう言った状況であっても昔ながらの家もまだある為そう言った所での仕事ぶりにも注目が集まります。
こうした状況でも、畳の張替えの依頼を受けるケースはまだまだある為、完全に職人がいなくなってしまう事にも問題はあります。現在のマンションのスタイルでも一部屋は畳のお部屋があると言ったスタンスでありその部屋の畳交換も当然あります。
完全に仕事が無くなる状況にはならない為に、職人の数は減少しましたが、現在いらっしゃる数の職人の中で張替えなどの対応を行っている状況には変わりありません。しっかりと職人技で張替えの作業をこなしている状況となります。
すばらしい伝統をそのまま引き継いで、畳の張替えの技術をこれからも引き継いでいきながら、新たな時代を迎える状況でも、しっかりと依頼を受けた仕事をこなしていく状況は、今後も変わりなく行っていく事が出来るでしょう。
あなたの家の畳、畳のプロの張替えをおすすめします
畳は購入してから15年~20年ぐらいすると、変色や、痛みがかなり進んできます。お手入れ次第では30年持つと言われる畳ですが畳にも寿命があります。衛生上もよくありませんし、家全体の構造にも影響を及ぼします。
普段のお手入れとしては畳の目に沿ってほうきで掃くことが挙げられますが、近年はどこのご自宅も掃除機が主流ですので、その場合は畳の目に沿って掃除機をかけることです。あとは大掃除の時に天日に干すことも長持ちさせるコツです。
ただどんなにお手入れしても、い草のささくれが服につくようになってきたり、歩いた時に凹みが目立つようになってきたりします。それが畳の寿命なのです。最近DIYと言って自分でできる張替えキットなどもあります。プロに頼むより安価でできるのが魅力です。
ただ普通のお宅ですと、畳は一枚ではないですから、一度に何枚も張り替えるスペースと集中力と時間、そしてプロにしか出せないクオリティを考えると、自分でやるよりもプロに頼んだほうが安上がりに思えるようなこともあるのは事実です。
大切な人も通すことのある畳のお部屋です。安いからといって自分でやって失敗したらそれこそ無駄なお金です。目先の安さだけにとらわれずに、ぜひ思い切ってプロに頼んでみてはいかがでしょうか。新しい畳に寝転んで、快適な居住空間を実現しましょう。
山梨県の歴史
山梨県富士吉田市 富士山と五胡周辺 中央本線を大月駅で富士急行電鉄線に乗り換えると間もなく左手の社葬に長い裾野を持つ雄大な明豊富士の姿が迫ってきます。 富士吉田市は富士信仰の中心、富士浅間神社の門前町として発展した街で、現在は富士山麓一帯の経済の中心地であり、同時に富士登山、富士五胡めぐりの玄関口でもあります。河口胡町は中央自動車道、富士スバルラインなどによって富士登山、五胡めぐりの中心としてにぎわう街で、種田根の観光施設、ホテルなども整い、周辺一帯の観光中心地となっています。 富士吉田市は 昭和26年に市制施行されました。 面積は120平方キロメートルです。 県の南東部に位置する市、昭和26年3月、南都留郡下吉田、明見、富士上吉田の3町が合併して姿勢を施行しました。 市街は平安の延歴8年造営の富士見浅間神社の門前町として発達しました。 富士山信仰について 秀麗な山容を持つ富士山は古くから歌にも詠まれて賛美されてきた山でもありますが、同時に霊山として信仰の対象となり深く崇拝されてきた山でもあります。日本蕪村が東征の祈り、富士の美しさに思わず歓声を発せられたという伝説、あるいは役の小角の伝説も、富士さん事態を尊厳死する信仰から出たものでありました。 藤信仰が富士登山と結びついて盛んにおこなわれるようになったのは平安時代中期以降で、同時代末期には藤信仰が仏教と結びついて、登山するものは一層増えました。室町時代には北条早雲が小田原入場の翌明応5年吉田口から登山した記録もあります。江戸時代に入ってこの藤信仰による登山を組織化したのが長谷川角行を始祖とする富士講でありました。角行は天分10年生まれ、7歳で富士信仰心を発し元和6年藤の風穴で千日の修業をしたといいます。角行は正保3年 103歳で没しましたが、以来ますます富士登山は盛んとなりました。 登山者は駿河、甲斐からはもちろん関八州から伊勢、尾張、美濃などの各地から集まるようになりました。江戸時代中期には吉田口登山道が最も盛んで、年間8000人を数えたといいます。吉田口のほか他3登山口を合わせて吉田口と同数だったといいます。またこのころは信仰とは無関係の登山者も増え、富士登山も大衆化していきました。 角登山口は宿坊や石室を備え、登山道も整備されました。登山は現在と同じく夏に限られ、6月に入ると山開き、7月27日が山じまいとされていましたが、元旦の初日の出を山頂で拝もうという道者もいました。